渥美清「わがフーテン人生」
- Aki
- 2020年4月8日
- 読了時間: 3分
「男はつらいよ」のフーテンの寅さんがとても好きです。
コロナウイルスで外出を控えるようになると、
「寅さん見ようよ!」となる事が多く、
見る度にどんどん好きになり、
好きになると、関係書物を読みたくなります。
色々読んだ中で、とても面白く、興味深かったのが、
27年主役を務めた渥美清さんの自伝本「 わがフーテン人生」

渥美清、本名 田所康雄。
上野の車坂で産まれた江戸っ子で、
第二次世界大戦中は、学徒動員の工場にも行っています。
戦後復興時はヤミ米を運ぶかつぎ屋をするゴロツキだったそうです。
当時の上野は、治安の悪さでは凄まじいところで、
渥美清は、その中で生きながら、
そんな中で生きていく人々を、「楽しい」と興味を持って見ていたといいます。
ある劇団の座長に誘われたのをキッカケに、
ヤクザな人生を改めて、
舞台俳優を始めますが、
劇団を転々として、
浅草のコメディアンに落ち着きます。
でも外見はずっとヤクザキャラクターだったようです。
そして!
何より興味深かいのが、
渥美清さんは少年の頃から、
身近にテキ屋が居て、
そのテキ屋の口上を
生で、触れて、聴きながら、
吸収して魅せられていたのです!!
本の中で、
テキ屋の種類も語られます。
簡単に言うと、売り方や口上は、
いろんなタイプに分かれていて、
大きな板で台を叩きながら、
「ものの始まりが一なら、国の始まりは大和国」バシーン
「続いた数字が、二ィッ」バシーン
「続いてまかった数字が三つ」バシーン
などと、言葉巧みに売り付ける
「バサ」
対象的に静かにボーとして、
力なく「ハイ、いらっしゃい‥」と
女子供を相手にする
「ハズミ」
首に数珠なんてぶら下げて、
修験者のような格好をして
草根木皮、漢方薬を売る
「ニガモノ」
キチッとした格好をして、
「こちらの商品、本当は3000円で売られる高級品、
ところが、工場の閉鎖で、訳あって‥」
なんて理由づけて、
非常に納得のいく口説でお得感をくすぐる
「 こまし」
(そうやって説明されると、長いシリーズの映画の中で、
渥美清は色んな「形」のテキ屋をやっていて、
「すんごいテキ屋」
つまり、マルチプレイヤー!
大谷翔平以上!?!?
ものすごくハイレベルなテキ屋だったのですね〜。
と、話が逸れました。)
はい、そして舞台俳優として活躍する渥美清に、 結核!という
病魔が襲います。
右肺を摘出手術して、
2年の隔離療養を乗り越えて、
退院をして、舞台に戻ります。
きっとこの期間に
あの世とこの世を見ていたのでしょう。
復帰後、舞台を見ていたプロデューサーに、
声をかけられ、テレビに出るようになります。
そして、「変わったドラマを作りたい!」と
テレビプロデューサーと、
脚本をお願いする山田洋次監督と、
渥美清など数名で、
遊びがてら雑談をしながら
練り上げましょうよ、と集まるようになり、
渥美清が小さな頃からの思い出話しや、
上野、浅草界隈のテキ屋の話をしていく中で、
山田洋次監督が脚本をどんどん作っていき、
「男はつらいよ」が生まれたのです。
1996年に書かれた この本の中で、
「もうテキ屋は見られなくなった。
大道芸と言うべき、
あの口上が出来るのは、

もうこの世でただ1人、
車寅次郎だけです。」
と書かれています。
映画の中の、あの口上は、
セリフでも無く
台本を覚えたものではなく、
渥美清の中に残って生きていた
1つの消えてしまった宝ものなんだ、
無くなった日本の文化だったんだ、
この本の私の感動は、
この1点につきます。
この感動を持って観るとまた、
「男はつらいよ」は、
より輝きを増しますねー。
はい、ちっとも美容と関係の無い
話でございました。ペコリ
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